平成二〇年・村廻り記1(10/5・6)

例年秋祭りが近づいてきますと盆明けぐらいから各村の方より、屋台の漆磨きの依頼を頂戴します。
ことし平成20年度は延べ85の屋台蔵にお伺いしました。
当初その模様を日記でお伝えしようとしましたがかなりのボリュームになりそうなので、派生して記事としました。
二日ごとに分けてご紹介します。

日記ページ「裏砂川仏檀店」はこちらです。


10月5日(日)、雨

なぜか例年雨が多い印象の磨き初日。
湿気が多いと漆の塗り面をすっきりさせにくいのでやっかいです。
一件目、飾磨は西細江に向かう車内、7:35。



西細江屋台。 9:45。
平成4年新調。
平成12年の改修のおりに棒を丸にされ台場指しができるように台を変えられたそうです。
青山井上師による脇棒受けの彫刻もそのとき。
お話を伺ったかたから、
浜の宮天満宮、恵美酒宮天満神社、と教えていただきました。
たしかにそこはあやふやになっていました。皆さんはいかがでしょうか。



曾坂屋台。 11:57。
新次(にいつぎ)神社。本宮は曾坂だけで宮入。
甲八幡宮の氏子ではありませんが宵宮には甲南観光さんの前で、
栗橋・薮田・砂川・橋爪・金竹と合流するそうです。
二尺七寸五分の大人屋台、世帯数は67軒だそうです。

桝組は黒檀、勾欄はケヤキの透漆塗りです。


その曾坂屋台、おもわず目が行ったのは平桁の金具、
整然と並ぶさまは正確な仕事の証左ですね。金具ではわたしははじめて見る意匠です。



南恒屋屋台。 13:45。
櫃倉(ひつのくら)神社。 本宮には北恒屋屋台と宮入。
宵宮には清水森神社に宮入。
狭間は昭和初期の川原啓秀作。

昨年につづいて行かせていただきました。世帯数は84軒。



北今宿屋台。 17:32。
昭和58年に新調とのこと。
長く村の方々によって手入れされていたそうで、
どないしても光らへんねん、とご連絡があり参上。

根を入れて磨くも、ツヤは出るのですが黒味がなかなか戻ってきませんでした。
ですがこのパターンでも三年(三回)くらい通わせていただけたら黒くなってくるはずです、
とお伝えしました。そんな例が過去あったからです。それは追って(10月6日のこの項で)ご紹介します。
世帯数650軒。



中仁野屋台。 19:13。
村内の二之宮神社と八幡神社に本・宵の両日行かれます。
本宮には香寺事務所前で周辺八台の屋台が集まるそうです。

桝組・勾欄はなんと黒檀。三段垂木。
2年に一度お呼びをいただきます。
約300軒。



北山田屋台。 20:54。
竹の宮神社。 神輿屋根の西山田と布団屋根の南山田と宮入。
約100軒で昭和54年ごろに新調されたそうです。

この日廻らせていただいたなかで、
三段垂木・勾欄桝組黒檀・太鼓隠し、のものが多かったですが
これはどうやら旧屋台が布団屋根の名残であるそうです。


10月6日(月)、晴れ

豊富、酒井。作業完了、8:20。
宵宮大歳神社、本宮は甲八幡宮に宮入。
大正時代からの屋台と聞きました。勾欄は梨地塗り。


いつも二階の桟に棒を渡してくださって磨き作業はとてもやりやすいです。
ありがとうございます。



細野屋台蔵、8:43。
開けていただくまでの間しばし休憩です。
辺りは田園風景が広がり、行かせてもらう度とても清々しい気持ちになります。
秋の青空と、朝まだはやいこともありこの日はなおさらでした。

南の幹線を見ると道沿いに各村の紙手(しで:竹の先に各村の色の紙をよったもの)
が並んでいました。色とりどりの15本。 素敵でした。


4年目の岸本。
漆磨きは手の水分があり過ぎても無さ過ぎてもうまく光りません。
慣れないうちは特に水分があり過ぎのほうで悩みます。わたしも例外ではなく3年目くらいまでは
ひとりで作業を完結できず、さいごはいつも父に漆面を撫でてもらっていました。
すると、なんとなくもやもやした面がすっきり。
時間に制限があること、足場が無い場合きつい姿勢で磨かなければいけないこと、見られながらの
作業もままあること、等が当たり前になれば自ずと出来るようになっていました。

それでも朝は体温が立ち上がり微調整が利きにくく手のひらが熱い状態、
手を落ち着け、冷やすの図です。


磨き後の細野屋台、9:47。
甲八幡宮に宮入。
宵宮は宮本診療所前で岩屋・黒田と練りあわすそうです。
8mを超える本棒。



岩屋屋台、11:18。
平成5年に新調されたとのことです。


黒田屋台、12:22。
60軒ほどの村ながら若い人は例年よくお集まりになるとのこと。
すごくいい雰囲気で楽しいと聞きました。
さらに聞けば、「極端な話、屋台はなんでもええねん」と、近くにあった歩み板を指差し、
「たとえばこれでもええねん」。

小さいころ一緒に遊んだ近所の兄ちゃんとか友達がまた集まってひとつのものを担ぐ、
担ぐといって、誤解を恐れずにいえば昔馴染みがまた寄って「遊ぶ」、一年に一度騒ぐ、
それが最高やねん、
というニュアンスを感じました。
まさに祭りのよろこびの原点を聞かせてもらったような気がしました。

「屋台はなんでもええねん」、は粗末にするという意味ではもちろんないことがわかります。
気い良う祭りができたらええ、ということですね。
そんな人のつながりをうらやましくおもいました。



津熊屋台、14:42。
甲八幡宮宮入。
村のお宮は地(うぶすな)神社。
宵宮は江鮒ゴルフ前に太尾・仁色・酒井・重国・江鮒・鍛冶内と七台が集まります。


金竹屋台の磨き作業前。


作業後。



正面、紋の横の作業前後。
5日の北今宿の項で触れた三年(三回)目以降黒味を取り戻しつつある好例です。
さいしょ五年くらい前だったとおもいますが2時間みっちり磨いても白く痛んだ漆面はなかなか
おもうように光ってくれませんでした。
その後は、しかし年を追うごとに黒くなりご覧のように何十年前の塗りとはおもえないほどにな
りました。

作業完了後。

金竹屋台、16:59。
旧玉地屋台で、東掘の砂川、曽祖父の次兄の店で塗られたそうです。
その本人からすれば甥の孫であるわたしが磨きに来させてもらっていることに長い時間の連なり
を感じます。


つぎはこの日七軒目、重国屋台。

平成17年度に漆塗りをさせていただいたいわばまだサラ同然の屋台、
あたらしいと磨きは楽かというとそうでもなく、つける油の余分が取り去りにくく、経年の屋台と
同じくらい時間がかかります。
表面がまだしっとりしているゆえです。

作業後。 すこし深めの屋根勾配を持つ重国屋台、19:04。露盤彫刻は小河師による四神です。



変わって八幡屋台。携帯できる蛍光灯で光り加減をみながら進めるわたし。


八幡(やはた)屋台完了、20:03。
本宮は正(しょう)八幡神社に宮入。
太鼓の稽古をされていました。
こちらも二階部分が周囲にあり作業はしやすいです。たすかります。


播但道に乗りいっきに南下、この日最終の加茂屋台です。

作業後画像を撮るわたし、その画像が↓こちらです。


加茂屋台、漆磨き作業終了後22:04。
磨いていてその大きさをとてもよく感じる屋台のひとつです。紋の横がとても広い印象です。


朝一と同じように、夜が遅くなり疲労が出始めるとまた体温が上がり、うまく磨くのが難しくなってきます。
たとえばこのあともう一軒行かせてもらったならすこし手間取ったでしょう。

つぎの日も朝8時から漆磨きです。 その、村廻り記2はこちら


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