平成二〇年・村廻り記2(10/7・8)

例年秋祭りが近づいてきますと盆明けぐらいから各村の方より、屋台の漆磨きの依頼を頂戴します。
ことし平成20年度は延べ85の屋台蔵にお伺いしました。
当初その模様を日記でお伝えしようとしましたがかなりのボリュームになりそうなので、派生して記事としました。
二日ごとに分けてご紹介します。

日記ページ「裏砂川仏檀店」はこちらです。


10月7日(火)、うす曇り

朝8時、一番は西今宿の屋台蔵に参りました。
漆磨き作業が終わって村の方とお話しているうちに写真を撮り忘れました。
二件目の東今宿とほぼ同じ時期の新調で形状も似ているとのことでした。
作業終了は9:12。

本宮は高岳神社、宵宮は夕方6時ごろ東今宿と合流するそうです。


その東今宿屋台、作業完了時の画像10:26。

すこし劣化(退色)を感じていましたが磨き技術の向上をみてから三年目にあたる昨年ぐらいから良い黒みがもどってきています。
蔵は東行き国道二号線の二本北の旧街道沿いにあります。


蔵から50mほど東に西源寺というお寺があります。
こちらに、かつて当店で漆で修復させていただいた東山(とうざん)焼きの燈籠があります。

いつも東今宿の屋台のあと立ち寄って点検させてもらっています。
雨ざらし日ざらしで、
この12月で丸3年を迎えますが表面の漆塗りはいかんせん紫外線で劣化が見られるものの、生漆と挽き粉を練ってつくる刻苧(こくそ)で補修した肝心のところは、強度を変わらず保っているようです。





この日三軒目、
お詳しい方ならすぐわかるこの特徴的な屋根のかたちは宮本住建さんによるもので、

中島屋台です。上は磨き作業前、11:53。


磨く岸本。この面、紋の上と右はもう終えています。

作業はまず埃・塵を払うところから始まります。
雨の跡があるときは水洗いします。露盤の位置にそのための霧吹きが見えます。ちなみに水道水ではありません。
そして、椿油を指にとり、延ばし、汚れをおこして胡粉で磨き上げます。胡粉で余分な油を汚れごと取り除きます。すべて手のひら。
布などを使ってもきれいになりません。わかりにくいかもしれませんが布だと「漆の底」まで届かない感じ、です。上辺だけ撫でているような感じともいえます。
村廻り期3(10/9・10)ではもうすこし詳しくご紹介します。

ときどき聞かれますが、ワックスの類いはまったく使用していません。













作業完了、13:16。
足場が周囲にありたすかります。









屋台蔵も堂々としています。
中島はたしか大中小と三台の屋台があったように記憶しています。





この日は飾磨祭りの前日、ここから飾磨の屋台がつづきます。









14:55、栄(さかえ)町作業完了。
3年ぶりにお伺いしました。

毛利工務店でつくられ、
平成10年に漆塗りをさせていただきました。


須加屋台。

当店で漆塗りをさせていただき現在も練られている屋台のなかで、もっとも古いもののひとつです。
飾磨浜の宮・須加屋台、昭和52年からじつに32年目です。状態はといえば、上画像のとおりです。

「三階松」の紋は他村にも見られますが、枝の部分が左右に出て屋根鏡から浮いている様式はこちらだけではないでしょうか。その立体感からか、わたしは屋根の全体の印象に深みや奥行きを感じます。
狭間彫刻もすばらしいものです。

大工棟梁は島村さんといって、荒川町の坪や津田の今在家屋台をされた方です。もう引退されています。

よく見ると桝組み・粧隅は今年春にイーグレの展示に出させていただいたものと同じようにおもいます。
彫刻は鶴・雲の籠彫りと獏(ばく)、桝が黒檀。
それは島村さんから譲り受けたものでした。なにか関連があるんでしょうか。

イーグレ展示桝組み。

雲をプラチナ箔で押し分け、獏の白目と牙もプラチナです。
鶴は木目を残して彩色。





須加屋台全体図。  完了16:23。


勾欄は黒檀。男柱の金具も見事です。


かわって、先日ギャラリーのページでご紹介した屋根の近接画像、反対側からの一枚。

都倉屋台です。 18:34、作業完了時。
磨かせてもらうのに二階に上がらせてもらうのですが、近づくとどうしてか威厳すら感じます。



都倉屋台全体図。

10月8・9日の祭りの両日、
恵美酒宮では都倉屋台に帯同しています。




お借りした脚立に立って手を動かすわたし。東掘屋台です。



磨くとき、未だ不慣れでも、広い面積を一気に手が動かせる場合は時間さえかければなんとかできますが、この屋根(紋)のように小さいパートがいろいろ分かれ、それぞれに行き止まりの多いものは熟練を要します。
入り隅にどうしても指が止まり、いくらやっても最終に指のあとがとれなくなるわけです。





向かいのお宅の前から。

提灯が情緒を誘います。
19:52。











休憩を挟んで向かったのは玉地の屋台蔵。
毎年、前日の夜に最終の練りがあるそうで、いつも21時に伺います。


これも毎年ですが
隣の集会所では青年のみなさんがお集まりになっているようで、磨かせてもらっている間、歓声と拍手が絶え間なく漏れ聞こえてきます。

とても盛り上がっている様子がよく伝わってきて、裏方であるわたしたちまで自然とテンションがあがってきてしまいます。

「、サァいよいよあしたやどぉ!」、、


やっぱり祭りっていいですね。

この日最終の漆磨きでした。 22:22。



10月8日(水)、晴れ  飾磨恵美酒宮・浜の宮祭りはじまる

この日あさ一番は、8時に安田の屋台蔵に父が伺いました。
ながく白木で練られていたところ、平成16年に当店にて露盤・狭間を含めて漆塗りをさせていただきました。

わたしはといえばまだ職場での漆塗り作業があり、飾磨の宵宮もことしは父と岸本が参りました。

その宵宮の様子、岸本のカメラです。


13:49、ことし漆塗り修復をさせていただいた玉地の神輿です。かき棒も漆を塗りなおしました。
神輿は宮にはこの日だけとのこと、お納めのときは棒は別でしたのでわたし自身はこの全体の姿は見れずじまいでした。

とても喜んでいただけてわたしどもも光栄に思っています。誠に有り難うございました。


東堀と玉地の練り合わせ、13:58。


夕方には職場での作業を終え、宵宮帰りの岸本と合流。 高砂に向います。









まずは木曽町に伺いました。

昭和60年に漆塗り。
その後しばらくして屋台を出さない年が続いていたそうです。
村の方いわく急遽出された昨年につづいて、今年から本格的な復活となったそうです。

そのあたりの話を含めて、長いご無沙汰を取り戻すべくいろいろと、村の方とまずはお話を持ちました。


わたしはまだ小学生でしたが、新調の頃のいきさつや、
当時の各職人とのやりとりなど多岐にわたりました。

これからまた新たなお付き合いとおもっています。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。



何年か納めっぱなしだった屋台はたしかにホコリがとても積もっていました。
二時間みっちり磨かせていただいてなんとか金具が映りこむまでにできました。  19:53。




二軒目は扇町です。 完了時、20:53。
肩の張らない浅めの屋根は新鮮に映ります。

このごろは祭りの日程が週末ということが増えていますが高砂神社は毎年日にちが決まっていて10・11日です。9日も昼から町練りされると聞いたことがありますが詳しく把握していません。実際どうなんでしょうか。



この次の日、9日は早朝から高砂に参りました。
その様子は次回村廻り記3で。



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