私信

こころのありよう

 

2月11日は紀元節。中々お参りも叶わず、ここ数年は些少ながら奉賛させていただいております。

お世話してくださる方がおられお願いしていますが、本日、授与品をお持ちくださいました。

ありがたいことです。毎年、感謝申し上げております。

きょうはその方が、なんと店先にて大祓詞をあげてくださいました。神職の方ではないのですが、滔々と響くそのお声にまことに驚き、思いがけず尊いひとときと、静かに感じ入りました。

店の内までもが澄みわたってゆくようでした。重ねて、心より御礼申し上げます。

 

 

 

さて、先日、考えさせられる動画を観ました。一神教を信じる外国の方(イングランド)と日本人のやり取りです。

要旨はこうでした。

イ「キリスト教を信じないと地獄に落ちてしまう、」

日「あなたの信仰は自由だが大きなお世話だ、信じないと地獄? 自分の国でやってくれ」

そりゃそうだと思いましたが、そのイングランドの人は聖書にそう書いてあるから、と主張を曲げません。

結局議論は平行線で終わったのですが、皆さんはどう思われますか。

○○を信じろ、あれはダメこれはダメ、といういわゆる教えのある宗教。

対して我らが神道は、戒めも教えも、教祖もいない。聖地もない。
ただ日々の営みの中に祈りがある。

それは宗教というよりも、むしろ生き方、あるいは哲学に近いのではないか――私はそう感じています。

その根底にあるのは、「感謝」という姿勢ではないでしょうか。

万事に感謝の心を抱き、意見の異なる相手をも排さない。

その在り方から、果たして争いは起きましょうか。

 

正義はきっと人の数だけありますが、私は日本の心をこれからも大切にしていこうと思っています。