つれづれるままに

日記の部屋 (〜3/31)
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2009年3月31日(火)
左見右見、二日目夜・宿
(2月24日の日記のつづき)
大木光師にはお世話になりました。
突然の伺でご迷惑をかけたことを謝りつつ、とても有意義な時間を持てましたこと感謝申し上げます、有り難うございました。


このあとはどうするん、あしたはどうするん?
みたいな話しに当然なります、彫刻の町井波・大木光師宅、
2月4日19時前。

いまから飛騨白川郷で適当に。あしたは岐阜でとあるお寺に寄るからできるだけきょうのうちに南に行っときたいねん。ほんで道すがらの民宿かどっかに泊まろうかと、

と答えたら、

え?いまから白川郷?まじで?何にもないで。

え、合掌造りの里とかあるんやんなあ? どっかあるんちゃうん。(←まだ余裕)

かんなりの山ん中やで!だいじょうぶかいな。

なんとかなるやろー。


井波は白川郷からみると縦貫する国道156号線を北に下りたところ。ほぼ地元といっていい大木師がちょっと心配してくれるような気を感じて、
あれ?泊まるとこなんかないんかな?とちょっと不安になってくる。
けれど南下しておきたいのは実際のところやし、、つづけて、

「大丈夫やって、なかったら岐阜(市街)まで出てまうか、
もしねむたなってもクルマやしどないかなるわ。」

と言い、大木師宅をあとにした。
そとはもちろん真っ暗、夜の帳(とばり)。


心当たりが全くないというわけではなかった。
学生時代バイクで日本一周したときから、出かけるときに携行する地図はいつもツーリングマップ。


この地図、お勧めルートや県道ナンバーもばっちり、しかもA5サイズで小さく持ち運びしやすい。

その巻末にはちゃんと宿泊情報が載っているのだ。

なになに、ふむ、あるやんあるやん。


白川郷に延びる国道に出てからクルマを道端に止め、目星の施設に電話。険しい北アルプスを目前にしてまだ電波は繋がった。


一軒目、国民宿舎。
プルー、プルルー、ガシャ、こちらは・・・。

まさかの自動音声。なんと2009年春まで改装工事で閉鎖中とのこと。

まあ、そんなこともあるやろ、と気にもせず
二軒目、ユースホステル。かつてよく利用した若者・プアツーリスト御用達の施設。

プルルルルー、プルルルルー、プルルルルー、、
出ない。

19時、ユースの夕飯時って忙しい、大抵ご夫婦の経営が多いから。 しばらく待って再びかけ直してみる。

・・・・

出ない。20コールは聞いた。でも出ない。

ま、まあ、こんなこともあるやろ、と落ち着こうとするが少し動悸がドキドキ。

三軒目、
もー、ちょっと頼むでぇ、の気持ち。とある旅館。

出ない

ええぇー、近辺の三軒が三軒ともつながらへんって〜。
ええ想定内ですね、なんて斜に構えて言えるわけない。

体温が上がってるのにはっきり気付く、反比例するかのように外は真っ暗二月の夜、ましてや今から山岳地帯、
空気は冷たく重く沈んでいる。


どうしよっかなー、、。
やっとちゃんと考えてみる。でも考えているようで人間は考えていないときが多い。このときもそう。

でもなんとかなるっか、
拠り所のない勢いでもう1分も経たないうちにギヤをいれいざ豪雪地飛騨の山道へ。

もう冒険気分になっていた。バイクの頃はよく橋の下で野宿とか公園でテントとか何度も経験している。あのころのWAKUWAKUが胸にはっきり蘇っていた。

なんとかなるわ☆


国道156号は予想通り、いや予想を超える山ん中。
すれ違うクルマもほとんどない。集落もほとんどない。標高はみるみる上がっていくのが鼓膜で分かる。
見上げる急峻な山の端(やまのは)はぼんやりと冬の夜空と交錯する。

山あいを縫う「路(みち)」だけが構造物、ってところをあてもなく走らせる。

するとけっこうすぐに温泉地的な看板と灯りが見えた。
ほーらぁー、あるやーん。
ちょっと安心して、もうちょい距離を稼ごうと左ウィンカーを出さずに直進。納得のスルー。


それが誤算だった。
そろそろなんかあるやろ、とおもう距離感で、それ以降なんにもない。宿どころか民家も人気(ひとけ)もない。
国道からかなり距離のあるところに集落が見えたりするも完全に宿のないオーラ全開。

延々と走る、走る。
気持ちは逸る(はやる)、体は疲れてる、腹はペコペコ(昼食抜き)。


走り続けるとようやくの集落と待ってましたの民宿の看板が!
けれどなんと、廃業かなにか、、住んでいらっしゃる気配がない。

・・

やり過ごし、つぎの集落を目指す。
合掌集落何キロ、の道路標示がヘッドライトに浮かんでは消えていく。
(イメージです)

そしてまた集落、二軒目の民宿!、こんどは中に明かりも見える、ほぼ急ブレーキ、ためらわず戸を叩き、

すみませーん、お願いしまーす!

・・・・。

返事がない、けれど摩りガラスの入った中戸の向うにテレビをご覧になっている様子が見える。
すこし声を張り上げてもう一度。 すると、

どなたですか?

の返事。 スナガワデス、と答える場面ではないことは百も承知。なんて答えたらええんやと窮し、まさかの、

旅の者です

との返し。

生まれてこの方、そして将来にわたって、こんな時代劇のようなセリフを実生活で使うなんて。こんなのきっと最初で最後だろう。
なにやらひとり恥ずかしがっているところ間髪入れず容赦もなく、

きょうはもうだめです。 のひとこと、チーン。

しかも中戸すら開けてもらえずガラス越しに。。

そうですか、すみませんでした。と退散するしかない。
なんとその玄関の薄暗く寂しかったこと。


またハンドルを握る。
そのとき電話が鳴った。大木師からだった。

見つかった?まだ?無理やったら戻ってきいな。ウチ泊まったらええやん。

お優しいお言葉、嬉しかった。
でも正直、このタイミング?もうだいぶ経ったで!(だいぶ来てるで!)と心の中で小さくツッコミを入れる。でも光ちゃんアリガトウ。


しかし、まじ泊まるとこなさそうやなぁ。。
このあとどないなるんやろ、逆に変にテンションが上がってきた。負けずに南下。もういくつかの合掌の郷は通過。。
(これもイメージ)


今度はとても勢いのある、だから’高そう’な明かりが見えた。旅館かな、ちょっと高くてももう大概しんどいしここに泊まろう、と勇んで近づいたら、、
それは日帰り温泉施設だった。

まだあかんのかぁ。えらいこんかいの試練は引っ張られてるなあとおもいながら、ここの人に、この辺に宿ないですか、と聞いてみることにした。
表情一つ変えないおばさんだった。


ん 、、 もうちょっと行ったらあるとおもうけどね 。。

うーん、どうとも判断しかねるお答え。
ぼくの「期待に近い推測」とまったくおんなじご返答、その参考にならなさ具合ににおもわず笑いそうになる。
山の暗闇はさらにその深さを増す。


どこまで行ったらエエねん、長い夜やなあ、、、
そこに、!、
砂漠にオアシス、太平洋に小島、世紀末に救世主、、
交番の赤い丸い電器が見えた。
ここなら教えてもらえる!、
と飛び込んだ。

するとなんと。
恥ずかしい話し、その交番の数十メートル先に旅館の看板と温かい’やってますよー’の雰囲気が。

想像してみてください。目の前に旅館があるのに、
「この辺に泊まるところないですか?」と夜更けに尋ねるオトコ一人。
怪しさ満点、変質者、下手したら逮捕ですよ。


なんとかその場はごまかして〜(嘉門さんの鼻から牛乳のノリ)、
真冬・夜の山岳路を30キロ以上うろついてようやく無事、いえ無事じゃありませんでした、宿を得ることができました。

刻は20時半、
「もう夕食は出せませんけど」のオチがついてきましたが。


翌朝撮影、ワタシを救ってくれたありがたいお宿。
五箇山温泉「赤尾館」。
つぎは家族で来ます。そしてこんどは晩御飯食べさせてください。
グゥゥ・・


(まだ)つづく。


2009年3月30日(月)
人にはそれぞれの生き方がある。
そのさきにそれぞれの役割がある。

何をするために生まれてきたかはわからない、
けれど自分というものを持っていれば、人生の進むうちにしたいことが見えてくる。

それはあとづけでもいい、
自分が進むうちに選んで、選んで、今がある。

選んだ今、とおもいながら
その「したいこと・やり遂げたいこと」に
実は自分が選ばれたのではないかとおもえるくらいの
’それ’に出会えれば、人生というのは意義深い。

それを天命という。



なんてことを
人との出会いでもって熱い志に触れると、
人生まだまだ若造の36歳がいろいろ考えてしまう。

独りで掘り下げられなくなったときには人と会おう、
人に触れて、人の話を聞こう。
それが正解やなとおもえるこの週末でした。

春、森羅万象が目覚める季節。





2009年3月27日(金)
造り込み

お仏檀は様々な部品や彫刻・金具、総数は数百点で構成されています。
それは細かいことの連続、その分かりやすい例として、
きょうはその中の一部、勾欄(こうらん)をクローズアップします。

上画像(天地反対)、朱漆塗りが仕上がったあと部分部分に金箔を施します。
当店では良い仕上がりを求め、金箔は漆を糊代わりにして押していくのですがどうしてもはみ出してしまいます。


はみ出た金箔を取り除きます。
うちでは「ふっきり」と呼んでいます。拭き切り、の変化だとおもっています。


  

全体ではこんな感じです。これだけでもかなりすっきりします。ですが完成ではありません。
このあと錺り(かざり)金具を、金メッキがされた釘で打っていきます。


勾欄自体20cmほどの部材ですがそこになんと56個もの金具があります。もちろんすべて手造り。
最小のものは約2×10o。

造り手は当HPからもリンクさせてもらっている龍野の谷口秀作師


小さいだけではありません。この金具は約15×6o。
けれど左右でちゃんと模様が変えてあります。
そこまでして誰がわかるんやといわれてもわれわれの世界はそういうものです。


この画像の真ん中あたりのがそれです。
いかがでしょうか、親指の爪ほどのおおきさです。


擬宝珠を付けていきます。

高さ約24o。
木彫りに漆塗り・金箔仕上げ。

シャープな彫り、
金箔の輝き。

樹脂・合成塗料ではこうはいきません。



出来上がればこうなります。↑↓

金具が文字通り’錺って’そのものの魅力を何倍にも押し上げます。一番上の画像と比べてみてください。

手仕事の物造りの一端を感じていただけましたでしょうか。


2009年3月26日(木)
おいこみ
かねてからご紹介していますお仏檀の作業が最終組付けにまで到ろうとしています。

ほか納期の近づいてきた品・作業を進めなければならない品がつづき、すこし慌しい日々になっています。

ということでこのページ始まって以来のボリュームの小さい日記でした。

2009年3月23日(月)
お膳漆塗り修復
遊んでいるわけではないですがここのところ夜に用事や出かけていくことが多く、こちら飛び飛びになってしまっています。

時間はつくるもの、ですがほぼフル回転だとどう捻出するか。
天下のトヨタのコスト削減は’乾いた雑巾をまだ絞る’と例えられるなんて聞いたことがあります。

それを考えると自分はまだまだ甘いもの、まだまだ’湿って’います。



さて年末にお預かりした10脚のお膳、まずはそのうちの五つの修理依頼をいただいていました。
こちらの作業も大分進んでまいりました。


作業前の様子、こんな具合に隅に割れがきていました。


一旦Vの字に彫りこみます。


傷みは裏面にまで達していました。同じように彫り、挽き粉(木の粉末)・生漆・糊を混ぜた刻苧(こくそ)をまずは充填していきます。

深いものだと硬化には時間がかかります。間、日数を置きながら数回に分け刻苧でほぼ面(つら)までかせぎます。


刻苧が完全にかわいてからつぎは堅地。漆と地の粉・砥の粉の練りもので面一まで均します。


上場が経年変化でひずんでいたのでここも直していきます。


堅地一回目。


繰り返し重ねていっています。


2009年3月19日(木)
木地改修完成
月初めにお預かりした岩屋屋台、木地を修復しました。


当初は野地板張り替えのみの予定を変え
野垂木はもちろん、水切りから上の躯体を全て新調としました。


きれいに並ぶ野垂木、優美な曲面を想像させます。



そして本日当店に帰ってきました。
昇り総才は一部補修のみで再使用します。さっそく井筒・枡組み紋木等を外し、漆塗りの拵え作業に入ります。


2009年3月16日(月)
走る
電子確定申告E-tax、結局ことしはできませんでした。

電子申告を利用する者に対する識別番号と暗証番号、

住基カードとその暗証番号、 

この二つがわかりづらくつまづき、つまりは暗証番号入力にロックがかかりアウト、終了しました。
去年はできたのに、、なかなか手ごわいシステムです。

なので書類を直接姫路税務署に届けたところ往復30分弱。おかげで、というとはっきりイヤミになりますがすぐ済みました。

アレレ?、走ったほうが早いんじゃん。E-tax普及の道は険しそうです。



こちらは春の木漏れ陽も清清しい緑道。
姫路の中心部を通る国道二号線沿いの石垣の上、ちょっとした都会のオアシスです。


2009年3月14日(土)
手仕事
きょうのTOPページは上の大引き出し・上台(うわだい)の近接画像です。
製作中のお仏檀は蝋色(ろいろ:研ぎ下ろし磨き作業)を大方終え、残すところ金箔と彩色・蒔絵、そして組み立てとなりました。


一方、こちらは上画像右に写っている御立露盤彫刻の一部拡大、屋台に向かって右の面「青龍」、
下地が済んでいます。

滑らかでありつつ、彫りを埋没させない下地、


手間暇はかかっても刷毛と筆で丁寧に行っています。



波しぶきとうねる龍が実に見事、画像全て丸彫りです。

ここにこう、こっちからはこう、、
立体で頭の中に’出来ている’からこその為せる業。手はそれを再現(あるいは再生)していくのでしょうね。

ある彫刻師がおっしゃっていました、
「ぜんぶ確信犯なんや」と。
その真意がお分かりになるでしょうか。


2009年3月12日(木)
期日4日前
またこの季節、格闘してます。仰せ付かっている国税モニターという責を全うするには「e-tax」でしなければなりません。

e-tax、かなりの税金がすでに投入されています。
利用率が上がらなければわれわれの血税は捨てたようなもの、もっと使うべき、
けれど実際煩雑さはつきまとい・・。

昨年したにもかかわらず一年一回のことなのでほぼ忘れています。


 
2009年3月10日(火)
decresc.
漆の研ぎに使う木炭のはなしは2/15のこのページでしました。
上画像はその炭のアップ、左が油桐、右がチシャです。

塗り上げた漆を一度研ぎ下ろし再びつややかな鏡面に至るまで磨き上げる、当然炭の’目’は細かくしていきます。
桐は見た目にもはっきり粗く、他方チシャの目は見えないほど細やか。

音楽記号でいうとデクレッシェンド、だんだん弱く、でしょうか。


では実際それらを用いた研ぎ面の違いを見てみましょう、

こちらは上台(うわだい)という、仏檀の上部です。

左が油桐による粗研ぎ、右がチシャによる蝋色研ぎ(ろいろとぎ)です。
肌の鮮鋭度の差は明らか、右はもう映りこむほどです。

細かいものでただ単に研げば良い仕上がり面が得られるか、 否。
闇雲に研げば炭足(すみあし)と呼ぶキズだらけになります。

培った技をもって、気持ちは adagio.(アダージオ)、
落ち着いてゆっくり、です。

そしてもちろん、amorosamente.


2009年3月9日(月)
最終コーナー
お仏檀の製作作業は終盤の、蝋色(ろいろ:炭研ぎ・磨きツヤ上げ)・金箔押しの工程まできました。



純日本産研出上黒蝋色漆(とぎだしじょうくろろいろ)の上塗りがされた戸(扉)、
じゅうぶんにきれいように見えますが、


さらに鏡面にするため、また炭で研ぎおろします(手前)。



こちらは先行している台・引き出し等、もう蝋色作業に入っています。


手のひらと指先を使い磨き上げます。種油と角粉。
この場合の磨きは屋台屋根の汚れ落としの磨きの折の椿油ではなく菜種油をつかいます。


磨き終えた部材です。手前はケゴミ奥の引き出し、板は天井裏板。
どちらも金箔仕上げになるところですがこのように蝋色をしてからの箔押しとしています。


その箔押し作業、

こちらは宮殿(くでん)屋根、漆塗りがよく締まったあとつなぎのために漆を薄く展ばし拭きあげ、適宜切り合わせた金箔を箔箸・竹軸を用いて置いていきます。


われわれ通称「箔じょう盤(はくじょうばん)」。
ヒノキの柾目材の上で金箔を裁ちます。
金箔は三寸六分角、約109ミリ四方。大面積の場合は一回りおおきな四寸二分の金箔をつかいます。



いよいよ完成後の「肌」が見える段階まできました。

’漆塗り’という言葉は一言ですが、長い長い拵え(こしらえ)・下地作業等を経て、
それは幕尻さいごの一工程として待っています。


「手間がかかっているから、良いもの」ではありません。
「良いもの造りのための手間」です。

それがわれわれの幹であります。