つれづれるままに

日記(〜3/10)

2008年3月10日(月)
見渡す

職人としてのとある先輩があるとき、

もうぼくらの歳になったらすぐ手の抜き方考えてまうから、とか

どうやって楽したろかとかおもてばっかりや、

とか話されたことがありました。

その文面のまま受け取るとすごく悪いことのような印象です。
でも違うんですよね。


まず自分の「仕事ぶり」を知っていらっしゃる。
最良であろう方法も知っていらっしゃる。
そして実際それを形にする を確かなものとされている。

何の問題もなく進められた仕事も、
悩んで悩んで成し遂げた仕事も、
タフな根気をもって乗り越えられた仕事も、、
つまりそんな数々の局面を経験されているから、
「見渡せられて」いる。

そのときは一見無駄におもえる
たくさんの回り道を経て辿り着かれた、
無駄のない仕事。
それができるからこその言葉でしょう。

いわゆる「手抜き」ということではなく
「力を配分する」と言ったらいいでしょうか。

うまく言えているかわかりませんがわたしはそんなふうに感じました。実際その方は素晴らしい仕事をされます。

わたしももっともっといろんな仕事をして経験を積みたいです。


さてきのう日曜日はある方のお宅をお伺いしました。
こちらでもご紹介しています室内漆施工例をご覧になってご連絡くださいました。

聞けば昨年、
屋台製作でもなじみのある大工さんに
ご自宅の増築を依頼されたそうです。
それはそれは見事なお仕事ぶりでした。
さすが、という感じです。

それでその増築に伴って、
構造上壁沿いではなく部屋の中に残った柱を
漆で仕上げられないか、
とのお問い合わせでした。
ありがとうございます。

手が空き次第色見本の手板を造って参上します。

その方とのやりとりでわかったわたしの認識違い。
いつも長押(なげし)といっていたのは「鴨居」の間違いでした。
教えてくださってありがとうございました。


先月末、一次作業が完了した日本家屋の一尺ケヤキ柱。
来月中頃過ぎから二次作業、
天井の漆拭きに入る予定です。

2008年3月9日(日)
週刊弟子通信 vol.4 修業の壁@

岸本です。

今日はわたしの修業の壁@、
『屋根磨き』の話。

当店では毎年秋祭り前に、
屋台の屋根に積もった1年間の汚れの磨きにうかがっております。
昨年は約70台ほど。

屋根磨きは、
手のひらで椿油を広げて汚れを浮かし、
胡粉で取り除く作業。

口で言うのや文章で書くと簡単なんですが、
これがなかなか奥深い。
屋根の状態(傷み・汚れ具合など)で油や粉の量を変えるのはもちろんのこと、
湿り気として手汗の量すら自分で調整する。
わたしはこの手汗の量の調整がなかなかできず悩んでいます。


指を大きく広げたり、
回転を速くしてみたり、
脇の下や肩に冷えピタ貼ったり(笑)、
色々試行錯誤しながらしてるのですが手強いです。
隆さんや親方を見ていると、ほんとに汗を出したり消したりして自分で調整しています。

磨く速さも半端じゃない。達人です。

よくフォローしてもらうのですが、
わたしが何回磨いても光らない箇所をあっさり光らせます。

「ほら、すぐ光る。簡単やん!」
ってつっこまれますが、簡単ではありません‥。

この速さや時間制限も手汗が多すぎてしまう原因になっていると思います。
迷惑かけてるやろなと思って焦ると余計です。
精神面ももっと鍛えないといけません。

ただわたしもできる時がある。
ということは、それは越えられる壁!今年こそ!

下の写真はわたしが磨いた魚吹八幡宮社務所に展示されている旧坂上屋台。
傷は完全に消すことはできませんが、落ち着いて時間をかけれたらなんとか‥。

2008年3月8日(土)
平成19年度祭り風景その6 恵美酒三台 

飾磨恵美酒の宮宵宮14:20。
御幸・都倉・東掘の三台練りです。

わたしはいつも
気がひとつになった練りが、
意識をもったひとつの生き物のように見えるのですが
練り合わせのときはそのイメージがさらにつよくなります。

このときは三台練り。
いっとき息合い、小康を保っていた三台、
ふと東掘(右)が動き出した瞬間です。

そして練り場は歓声につつまれました。

画像クリックで拡大画像がみられます。

2008年3月7日(金)
修理

が欠けた塗り物の修復依頼をお受けしていました。
なにか箱物の蓋だとおもいます。

その欠けた部分の周辺だけ繕うだけで構わない、
とのことだったのですが
それではいかにもここを直しました、という感じが免れず
元の部分と直した部分の色味も
完全に合わせることは出来ません。

ということで裏面以外を全部塗り直しました。


といって、それ相当のお代金を請求するわけではありません。
こういうふうに直したかったというこちらのエゴの押し付けでもありますので。


こうやった方が喜んでいただける、なら
できるだけのことをする。
当店はそういう店です。


もちろん経年変化をも愛でる骨董の類は
このような直し方はしません。
2008年3月6日(木)
飾り

きょうはさっぱり髪を切りました。
丸坊主。
いいです。 すっきり。

もう何年も冬場以外は毎回坊主頭です。
で三ヶ月そのままで短髪までいって、
整えにくいほどに伸びたらまた丸刈り、の繰り返し。

いいですよ、なんか例えるなら部屋をすっきり整理整頓して模様替えまでして掃除機を隅々かけた感じです。
さっぱり。


実際仕事上でも髪なんて無いほうがいいです。
「塗り」のときに埃も出にくいでしょうし。


漆塗りはなにせ埃・塵を嫌うもので、
昔は塗りの日は裸に竹で編んだ褌を締めたとか、
舟で沖に出て塗っていたとか、
ほんまかいなというような話まで伝わっています。
舟の話しは、塩気があれば漆は固化しないので、
海は考えられませんし、
あっても池か湖でしょうか。
まあちょっと無い話やとおもいますが。


振り返ると
いろんな項目(?)に気持ちの配分をした独身時代。
丸刈りにする必要も潔さも感じなかった時代。


ある程度の「自分」、を見つけ、
職人として
人間として
その「自分」をすこしでも高めたいとなったとき、
髪型とか、
ファッションだとか、
自分を飾る要素なんてはっきりいってどうでもよくなりました。

実(じつ)がないから飾りたかった。
自分がないから丸裸になるのが怖かった。


もちろん社会人としての最低限の身だしなみは必要ですが、
散髪=丸坊主
とおもえるいまの自分にすこししあわせを感じます。

人からどう見られるかより、
自分はなにが出来るのか、が気になる35歳です。


2008年3月5日(水)
獅子の修復
高町の獅子です。
金箔を押しています。

以前紹介した姫路文学館での
古い獅子舞が出るという映像上映の件、
詳細が分かりましたのでお伝えします。


3月20日(祝日)
13:30〜15:30
第17回播磨文芸祭 はりま映像の半世紀vol.8
※参加自由


文学館の当該ページは→こちら

わたしも参る予定です。

2008年3月4日(火)

日曜の弟子通信、
じつはわたし自身も結構楽しみにしています。

いままでの三回に書いていることも初めて聞く話しです。
そうやったんか〜、と。
彼はこれを読んでいま汗かいているとおもいますが。


彼はかなり自分からものを言わないタイプで
どんなことを考えているのか、分からない部分が多いです。

それも自分の駆け出しの頃の心持ちをおもいだすと
なんとなくわかる気がします。
そんなこといちいち聞いたらあかんのちゃうか、
とおもってしまうのでしょう。
微妙なところです。


わたしはわからないことはわからないと言い、
すぐ聞くタイプです。
よく、職人は見て盗め、といいますが、
聞くほうがだんぜん早いです。
ただ聞いたことをどのくらいの感度で意識の奥底まで持っていけるか、
聞いた言葉の行間をどれだけ推察するか、が大事で、
そこさえおろそかにしなければ
無駄な回り道をしないで済むので、
実際の知識・経験とするのも早いでしょう。

ただ無駄な回り道が往々にして
新しい(あるいはただ気付けていなかった)「気付き」に繋がるのも事実で、
微妙なところ、といったのはその辺りのことです。

「気付き」がなければつぎの壁に出会えません。


さて弟子通信、に話を戻すと、
おとといの箆(ヘラ)の持ちようはいかにも初体験て感じです。同業の方ならすぐわかりますよね。
いまではすっかり様になっている、とおもいます(?)


その岸本、
天満屋台の彫刻を洗っています。
現在は金箔押しも完了しています。
2008年3月3日(月)
続けるということ


わたしの曽祖父、重蔵は、
飾磨で仏壇店を生業としていた砂川與八の三男として生を受けました。
長男次男ともにそろって塗師の道を選んだ三兄弟。

近くで三軒あるのも具合が悪いということで
曽祖父は明治後期に現在の場所、
西新町に店を構えました。
当初は仕事も少なく苦労したと聞いています。

それから約
100余年、
規模は小さいながらもこつこつとその意志を繋いでいます。


伝わったもの、は、残り得たもの。


わたしどもだからこそできる物造りを理想として
すこし上のものを手にしようとする姿勢で
皆様のご依頼にお応えしてまいりたいとおもっています。

これからもずっと。


昭和四十一年、
姫路博覧会に妻鹿屋台が行った折、
屋台の横に置かれたもの、
二階の職場に掛けています。

当時、
先代正二五十三歳、
弘征二十五歳。
2008年3月2日(日)
週刊弟子通信 vol.3 洗礼

岸本です。

今回はこの世界に入ると誰も(?)が経験するであろう
『かぶれ』の話。

『かぶれ』は漆に含まれるウルシオールという成分が原因で起こります。


画像はわたしの初めての堅地つくりを隆さんが記念にと撮影してくれた一枚。
思うようにできず、手が漆まみれになったのを覚えています。
漆にかぶれ出したのもこの頃です。


堅地つくりには生漆(きうるし)を使うのですが、
かぶれが最も出やすいのがこの漆。
生漆は木から採集された天然漆からゴミを濾過しただけの、
精製される前の漆のことです。

アルバイトの時も弟子入り当初(1〜2ヶ月間)もかぶれることがなかったので安心していたら一気にきました。


ありえないほどかゆい!


夜中寝ている時、無意識の内に手と手をこすり合わせて掻きむしる。
朝起きたら、指と指の間の皮が摩擦でめくれてボロボロ。
毎日、その繰り返し。


何日か経って、さすがに皮膚科にいってみると、

『これは植物性のものにかぶれた症状に見えるけど、何か心当たりは?』

とズバリ聞かれ、

「漆塗りをしてまして。」

と伝えると、

『間違いなく漆かぶれやね。それは、本業?』

「本業です。」と返すと、

『ここまでかぶれるなら、もうやめた方がいいわ。漆は1回かぶれたら慣れることはないと思うよ。』

といきなりのドクターストップ。


店側には心配かけてはいけないのでこの話は伝えてなかったのですが、
わたし自身はそんなに不安に思ってなかったです。
なぜなら、何冊か読んだ塗師の先生方の本には
「よほどのアレルギー体質でない限りいずれ慣れてくる」と書かれてあるから。

餅は餅屋。漆は塗師。
医者よりも塗師の先生方の経験を信じたのです。
事実、開き直って、ボロボロの手で作業し続けていると、
いつの間にか克服してました。


松田権六先生の『うるしの話』という本によると、

「かぶれが強くでる漆ほど混ざり物のない良質な漆」

とのこと。

弟子入り直後に
ドクターストップがかかるほどの『かぶれ』を経験し、
砂川で使われている漆の良質さを証明したわたし。

ほんとデキた弟子です(笑)

2008年3月1日(土)
リニューアル

あしかけ3ヶ月めを迎えて、すこし体裁を変えました。
過去日記も「記事」としてまた見ていただきたいとおもって題名が見えるようにしました。


当HPが10年めをむかえてはじめたこの日記ページ。
毎日はなかなかたいへんですね。
いわゆる「ブログ」を毎日更新されている方は
すごいことやな、
ってやってみてはじめて気づきました。
いやすごい。

さてこのHPの古い記事をたまにチェックすると
内容も文章もつたないものやなぁ、
とおもわず歴史を感じてしまいます。
それだけ成長したともいえそうですが、
見苦しいところがけっこう目に付きます。
いや、お恥ずかしい。
削除は簡単ですが、
過去から目をそむけてはいけない!
と大げさに言ってみましょうか。

なかなかできませんが
折に触れ改訂していきたいとおもいます。


かわって、
きょうは今年にはいってはじめてといっていいくらい
丸一日休みが取れたので、
家族サービスで雪山に行ってきました。
3歳の息子に初めての滑走体験、おんぶ。
いや喜んでました、家族も大事にせなあきませんね。