職人としてのとある先輩があるとき、
もうぼくらの歳になったらすぐ手の抜き方考えてまうから、とか
どうやって楽したろかとかおもてばっかりや、
とか話されたことがありました。
その文面のまま受け取るとすごく悪いことのような印象です。
でも違うんですよね。
まず自分の「仕事ぶり」を知っていらっしゃる。
最良であろう方法も知っていらっしゃる。
そして実際それを形にする 手 を確かなものとされている。
何の問題もなく進められた仕事も、
悩んで悩んで成し遂げた仕事も、
タフな根気をもって乗り越えられた仕事も、、
つまりそんな数々の局面を経験されているから、
「見渡せられて」いる。
そのときは一見無駄におもえる
たくさんの回り道を経て辿り着かれた、
無駄のない仕事。
それができるからこその言葉でしょう。
いわゆる「手抜き」ということではなく
「力を配分する」と言ったらいいでしょうか。
うまく言えているかわかりませんがわたしはそんなふうに感じました。実際その方は素晴らしい仕事をされます。
わたしももっともっといろんな仕事をして経験を積みたいです。
さてきのう日曜日はある方のお宅をお伺いしました。
こちらでもご紹介しています室内漆施工例をご覧になってご連絡くださいました。
聞けば昨年、
屋台製作でもなじみのある大工さんに
ご自宅の増築を依頼されたそうです。
それはそれは見事なお仕事ぶりでした。
さすが、という感じです。
それでその増築に伴って、
構造上壁沿いではなく部屋の中に残った柱を
漆で仕上げられないか、
とのお問い合わせでした。
ありがとうございます。
手が空き次第色見本の手板を造って参上します。
その方とのやりとりでわかったわたしの認識違い。
いつも長押(なげし)といっていたのは「鴨居」の間違いでした。
教えてくださってありがとうございました。
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