つれづれるままに

日記(〜2/20)

2008年2月20日(水)
厨子

TOPページにご紹介している厨子(ずし)を
17日の日曜日にお納めさせていただきました。

厨子ってなんですか?、複数の方から尋ねられました。

厨子とは仏壇ほどきちっと決まりごとにとらわれることなく、
手を合わせること、お祀りするものを大事に守ること、
を純粋に追求した「宝物を安置する箱」と考えられます。

ご本尊や、故人・御先祖様のご位牌はもちろん、
先立たれた方が大事にされていた御遺品を安置されてもいいとおもいます。
また愛されたペットをお祀りになることもできます。


なにも制約はありません。
「心のよりどころとなるかけがえのないもの」、の特別な安置場所です。


仏教が伝来し(西暦538年)以来、
仏像を安置するためにもともとの厨子があり、
時代が下っていろいろと宗派がわかれそれぞれが確立し、
決まりごと(お祀りのしかた)ができて、
現在のような仏壇となったのは江戸時代以降ではないでしょうか。


現在の仏壇はおおまかに、本山のお寺の内陣を再現したものであり、厨子は御本尊(大事にされるもの全般)そのものを祀るもの、といえます。

後日、そのお納めの様子を御紹介させていただきます。


さてきょうの午後、ある屋台の屋根磨きに行って参りました。
季節的にはめずらしいご依頼でしたがお化粧直しとのことでした。

2008年2月19日(火)
112年

取次ぎでお預かりしている画像の太鼓、
屋台のものではありませんが、
明治二十九年の墨が入っています。西暦1896年です。

きょう太鼓師さんに引き取りに来ていただいたのですが、
見るなり、 
古いやっちゃなぁ、あいさに(時々)こんなんあるねん、

と少し驚いておられました。
師は続けて、
これ張り替えてないはずやで、と。
これには驚きました。そんなに持つものなのですか。
曰く、打たれている鋲をみたらそう推測がつくというのです。

わたしら門外漢にしたら、古いのはわかりますが値打ちはほとんどわかりません。見る人が見たらわかるのですね。


あわせていろいろ話を聞かせていただきました。
木は関東以北のものでないと鳴りがよくない、
胴が張っているもんがええ、
ええ皮が入りにくなってきた、 等々。
勉強になります、ありがとうございました。


太鼓というと雄雌の皮の違いや厚さ、張り具合の差でおおきく鳴りが変わると聞きます。
鳴りや響きを決定付けるのはそれだけではなく、
聞くところによると胴の内部の工夫もいろいろされているそうです。
なにやら針金を張るんだとか、金箔を施すんだとか。
すみません、それ以上のことはわかりません。

太鼓の中、それはほとんどの人が目にできないところです。
河内家菊水丸さんがお金隠しているって冗談がでるくらいですもんね。

112年もまえの太鼓を目の前にして、
この内側、そんなむかしの職人さんはどんな仕上げをされていたのか、とても見てみたくなりました。
おそらくギザギザガタガタなどではなく、
あんなに固いケヤキやのに、つるっとすっきり映りこむほどに鑿を切らせているんやろうなあ、
と想像しています。
あぁ見てみたい。

2008年2月18日(月)
無題

なんで木は腐って無くなってしまうんやろう

ナイロンとかプラスチックとかは
あんなにきれいままずうっとあり続けるのに

なんで木はぼろぼろになって土にかえってしまうんやろう

木が生きていたから、やろか


なんで葉っぱはきれいんやろう

窓ガラスとかクルマとかは
あんなに汚れるのに

なんで葉っぱはあんなにきれいままなんやろう

葉っぱが生きているから、やろか


2008年2月17日(日)
週刊弟子通信:vol.1 きっかけ

わたし、岸本の週刊弟子通信第1号です。

初回なので、弟子入りの『きっかけ』となった話を少々。

写真は魚吹八幡・平松屋台。
当店、平成16年、塗り。
縁があり、わたしがアルバイトさせてもらった年でもあります。
アルバイト初日、
隆さんが平松屋台の露盤を前に作業しているのを見た時、

「こんな世界もあるんやなぁ!」

と感動したのを覚えています。
と同時に、それまで漠然と何かをつくりだす仕事に携わりたいと日々模索しながらモヤモヤしていた自分の気持ちが、
パッと晴れたような気がしたのもこの時。

手伝いの作業も、
元々、根気のいる細かい地道なことが好きな性格もあり、
新鮮で楽しいこと楽しいこと。
で、「これしかない!この仕事がしたい!」
との思いがドンドン強くなり、弟子入りを決意しました。

「手伝ってくれへんかな?」という隆さんの一声が、
わたしが塗師という仕事を知る『きっかけ』になりました。
感謝しております。

あっ 今ものすごい初心に戻っています。
もうすぐ4年目のスタート、
この気持ちを忘れずにがんばります。


今後、毎週日曜日、
文才乏しくお読み苦しい点も多々あるかと思いますが、
よろしくお願いいたします。

魚吹八幡宮平松屋台
2008年2月16日(土)
腰組み桝、蝋色

店の職場では天満屋台の作業が日々続いております。

魚吹八幡宮をはじめとするいわゆる「飾り屋台」の特徴のひとつ、腰周りの桝組です。
先日部品点数の話をしましたが、その数が一気に増える理由の一つがこの部分です。
各村18台(間違っていたらすみません)の屋台それぞれ構造は違うようです。

わたしがこの仕事を始めてから腰周りのある屋台に携わらせていただいたのはこの天満屋台で6台目になりますが、
大工さんが違えば構造はすべて違いました。
(平成7年塗箔の宮田と平成12年塗箔の坂出は大工棟梁が和久の小林氏でほぼ同一の構造だったとおもいます)

屋台が据えられたとき、まさに目の前に見える部分です。

↓薄い飴色で、光沢もとろみも出てきました。

木目がよく見えるように配慮し特別な漆を使っています。
もちろん国産天然漆。
それは普通の透き漆とは違う塗り方、倍の手間を必要とします。

正面だけでなく、
下の面も側面も総蝋色(磨き)仕上げです。

2008年2月15日(金)
一ヶ月

とりあえずスタートです、
と見切り発車をして早一ヶ月、 まだ一ヶ月。

なんとか一ヶ月は毎日更新を達成しようと、
寝不足の日も風邪気味の日も
夜な夜なPC立ち上げてにらめっこでした。
ほんととりあえずさいしょの目標をクリアしました。

こんごはもうすこし肩の力を抜いて、
また内容もすこし「店」から視点を別のところへも向けて
続けていきたいとおもっています。

さて、新企画、
わたし隆ばっかりが発信していてもカラーが一色になりますので、
弟子の岸本にもoutputさせようとおもいます。
名づけて、

週刊弟子通信:お塗師やるなと云われたい


駄洒落のようなのは題だけです。35にもなるとこんなことばかりでいけません。

内容はまかせています。
まあ、この題では恥ずかしいとおもうくらいに彼が成長した暁にはもうすこし重々しい冠に変えたいとおもいます。
本人にはモチベーションのひとつと言い聞かせます。

予定では毎週日曜日のこのページにて更新いたします。
初回はあさって17日。


さて毎日見てくださっている方が何十名もおられるようでありがたい限りです。
世間のブログのようにコメント欄を設けておりませんが、
ご意見やご感想を店アドレス宛に送っていただけるならばなおのよろこびです。
すべてにお答えできるわけではありませんが、質問もうれしいです。

待っております。

↓弟子、岸本純、妻鹿のはしごを持つの図。
平成19年本宮、広畠前、9:39。

2008年2月14日(木)
不明

島村さんといえば
町ノ坪や今在家、須加の屋台を造られた大工棟梁で、
当店ショーウインドーに置いている屋台の模型でもお世話になりました。
その島村さんから、もう10年ほど経つでしょうか
かつて桝組一台分を譲り受けました。
島村さんが一線を退かれるのに際してだったとおもいます。

見たことも聞いたこともない、
黒檀の桝に白彩色の肘木・彫刻の取り合わせです。どこのものかは聞いておりません。
珍しいので、戴いたそのままの状態で長く店に飾っていて、
時にはお越しになられた方々に
屋台の漆塗りに際しての説明の折、役立たせてもらっていました。

このたび合間をみてその一組を漆塗箔することにしました。
肘木は堅地盛り上げ・塗箔、
桝は黒檀のモクが見えるように漆摺り上げ、
粧隅彫刻は塗り分けての金箔仕上げとします。

画像は肘木の下地が済んでいて、桝が嵌る部分の色でもとの様子をご想像いただけるとおもいます。
彫りはまだもとのままの状態です。

どなたかこんな桝組、どこの屋台についていたものなのか
ご存じの方はいらっしゃいませんか。


さてわたしが駆け出しの22才のとき、もう13年前になりますが
島村さんと大峰山参りにご一緒させていただいたことが今となっては懐かしく感じられます。
そういえばその帰りに、
できたての大阪WTC展望台にも登りましたっけ。

2008年2月13日(水)
平成19年度祭り風景その4

平成19年10月6日、
福崎井ノ口の町練り風景です。
市川沿いの312号線の交通を止めての巡行、
その風景の広がりとまさに抜けるような青空がとても印象的でした。

荒々しさや派手さは感じませんでしたが、
そこにはとてもいい時間が流れていました。
「ええ祭り」でした。
井ノ口の皆様ありがとうございました。

2008年2月12日(火)

 また記述に誤りがありました。
日曜日の日記に通常の神輿屋台の漆塗り部品点数についてふれたおり、512と書いていました。
正しくは236です。

このような総点数を計算してみたのが実は初めての試みで、
桝組の構成部品の部分で大幅に勘違いして掛け算していました。
われながらこんなに部品多かったかな、
と腑に落ちない感じがあったのですが計算しなおしてみたところで、
そのときには勘違い自体が正されていなかったため
そのまま掲載してしまいました。

なんとも不細工なことです。申し訳ありません。

それに付随して、天満屋台は、、のくだりも数えなおすと上記236点の3倍強でした。
お詫びして訂正申し上げます。 以降気をつけます。


本日、この日記見てますよ、と
ある村の方がお見えになりました。嬉しいことです。
たまたま15時くらいに出先よりもどって来ておりました。

いろいろとお話をさせていただきました。
屋台への想い、屋台ができた経緯、
大工棟梁の話、近隣の村との関係、果てはご自身のお仕事のことまで。
勉強になります。ありがとうございました。


また、とある団体の方から面白いご依頼を頂戴しました。
形になりましたらここでご報告させていただきます。
ただこのご依頼、日数がとても厳しいです。
間に合うか、いっそ発想の転換をしなければならないか、、
あす担当の方と打ち合わせです。

さて下画像は今朝の出仕事先、日本家屋の現場です。
完成に近づきつつあります。

2008年2月11日(月)
始末

今宿西源寺様よりお預かりし修復中のお仏具、
江戸後期のものだそうですが
とても丁寧な仕事で仕上げられていました。
とうてい150年以上経ったとはおもえません。

まず最初の作業として錺金具を外すのですが
ご覧のとおり、
金具で隠れる部分の金箔は省略されていました。
単にケチっているとみる向きもあります。
ですがそうすることによって手間は大幅に増えます。一気に全部金箔を施すほうが作業自体は早くできます。

もちろん江戸時代、金は無駄にはできなかったでしょう。
当時金箔はもちろん手打ちで造られていたでしょうし、
金の産出量も国内ものばかりで多くなかったでしょうから、
いまの何倍も高価で貴重だったことは想像に難くありません。
ですがそうだとしてもその省き方が清潔といいますか精緻で、適当な感じが全然しないんです。

将来いずれ誰かが修繕をする、その時に恥ずかしいことはできない、という感じです。
造られた本人は将来だれかが触るときもちろんこの世にはいないしどこの誰かもわからない=適当にしていて構わない、ではないんですね。

一番小さいところで約1cm四方でもそうでした。

ケチったのではない、始末したのだ、とその仕事は語っています。 それは職人としての矜持。


時代は下って、平成の世。
画像のような仏具の場合、当店では隅から隅まで金箔を施します。

「見えないところでも手を抜かない(金箔にしておきたい)」、
と、
「金箔を省略する手間を省きたい」とどちらもその理由です。

ですがこの先人の仕事に触れて、果たして本当のところはどうなのか、自らに問うています。