私信

なぜ天皇は必然なのか

 

最近三島由紀夫氏のとある言説に触れました

たまたま目にした彼の当時の肉声からの動画でしたが、私はとても得心しました

『なぜ天皇は必然なのか』

要点をまとめましたので、宜しければお時間許すとき皆さんも読んでみてください

 

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日本文化

和歌 能 茶の湯 庭園 着物 器 作法

品々の寄せ集めではない

同じ一つの心映えが通っている

もののあはれを感じ 移ろいを惜しみ 簡素の中に豊かさを見る

その目に見えない感じ方のかたちこそが日本の文化の正体

 

例えば桜  満開の桜より散る桜に心を奪われる

盛りの美しさではなく滅びていく美しさに胸を打たれる

 

誰に教わったわけでもない 学校でも習わない

それなのに千年前の歌人から 今の私たちにまで途切れずに受け継がれている

 

血でも法律でもない この不思議な継承こそ文化の生きた姿

 

言葉 衣服 住まいも変わった それなのに万葉の歌に心を動かされる

千年前と同じ文化の中にいると疑いもなく感じている

形がすっかり入れ替わっているのになぜ同じものだと言えるのか

 

伊勢の遷宮 木の文化 形は滅びるに任せて命だけを移し続ける

つまり日本文化とは物の芸術ではなく 時間の芸術である

 

形がすべて入れ替わってもなお同じものが続いていると言えるためには何が要るか

それを続いていると証す一本の軸が要る

 

糸の切れた数珠は玉が揃っていてもバラバラの石ころ

千の時間を一本に貫く糸 それがなければただの美しい断片の山に崩れる

 

その糸をこの国は天皇と呼んできた

 

ではなぜ天皇でなければならないのか 無私

権力は倒される 力で立った中心はより大きな力に倒される

争いの的は時間の軸になれない 富も移ろう 家はいつか傾き蔵はいつか空になる

 

天皇はなぜ千年続いたか 何も持たなかったから

何も主張せず何も奪わない 無私 何も持たないものからは何も奪えない

何も主張しない中心は誰の敵にもならない

 

権力の中心は倒す値打ちがあるから倒される 無私の中心は倒す理由が誰にもない

だから千年残った

 

天皇は歌を詠む 帝と民

三十一(みそひと)文字 同じ調べで同じ美しさを分かち合う

山の頂から裾野まで ひとつづきにつらなっている

天皇とは命令の頂点ではなく 美の座標の原点

 

権力の中心ではなく文化の中心

 

天皇は祈る 民の幸 五穀の実り 命じるのではなく祈る 求めるのではなく祈る

祈るという営みほど無私という言葉にふさわしいものはない

何かを動かす力は一切ない

それでいて祈りが千年続いているという事実だけが

どんな権力にも作れない重みになっている 世界を見れば稀

 

王朝は興っては滅ぶ 革命で王の首が飛んだ 文化も断ち切られる

この国だけが一本の糸で続いてきた

日本人が特別に心優しかったからではない

中心が無私だったから

 

金で買える豊かさが金で買えない値打ちを押し流していく

役に立つか儲かるか その物差しが幅を利かせる時代に

役に立たず儲からず ただ千年続いてきたというだけの存在が必要

 

全てが値札を付けられ流されていく世の中で

値札のつけようのないものが一つだけ動かずに立っている

それは魂の錨 船が沖に流されても錨のあるかぎり帰る場所は失われない

 

この天皇という糸は過去のものではない 未来にも伸びている

これから生まれてくる日本人が万葉の歌人と同じ一本の糸の上に立てるように

百年先の子供らが散る桜を見て千年前の人と同じ心で 胸を打たれるように

 

時間の軸を守るとは過去を懐かしむことではない

未来へ文化を手渡すこと

 

 

 

 

 

なぜ天皇は必然なのか

 

まとめ

 

日本文化は形を残さず 命を移し続ける 時間の芸術

時間の芸術には時間を貫く軸がどうしても要る

 

その軸は権力や富のような争われるものでは務まらない

無私の存在だけが千年の糸になりうる

 

その糸は初めから天皇という名で続いてきた

好みでも趣味でも懐古でもない

日本文化を一つのものとして考え抜いたときの 論理の行きつく先