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| 2010年2月26日(金) |
| 厨子製作 その3 |
下地研ぎを終え、細かい修正のためさらに堅地(かたじ:漆による下地)を付け、もう一度砥石で研ぎ上げます。
現在はようやく漆の下塗りに入っております。上は仏檀で言うと狭間彫刻に当たる部材です。

こちらは一体構造の本体。いま刷毛を置いて撮った、塗り上げて間無しの画像です。下塗りなのでさほど埃は気にしません。
漆は次々と重ねられる化学材料や合成塗料と違い、工程と工程の間に時間(数日から場合によっては数週間)を要します。天然の生きている材料ということで、たとえば一見(あるいは触れてみて)もう乾いている(硬化している)とおもえてもその先のゆっくりとした変化があって、安易に次の工程に進めないわけです。
漆塗りにおいて、急いでろくな事はありませんが、急ぎたくても急げない根本的な理由があるとも言えます。

同じく塗り上げてムロに入れる直前の戸(扉)と屋根の部材。裏と表を分けて塗ります。戸は表、屋根は裏です。

触られるようになってから、早く見てみたくて錺(かざり)金具を置いてみました。「黒と金」という、世界で日本独自と言って良いこの組み合わせはやはり目に贅沢なものです。
完成が楽しみです。
中塗り・上塗り・磨き・金箔押しなど、まだ15工程ほど待っております。
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| 2010年2月21日(日) |
| 誓い |
近くにいる、近くにある 、
という理屈抜きのしあわせを
いつまでも感じていられるように
繋ぐ手には力を込めて
意地はそっと解いて
平成二十二年二月二十一日、きょうという良き日を忘れずに。
ご結婚おめでとうございます。
心よりお慶び申し上げます。

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| 2010年2月20日(土) |
| 頂く |
きのうNHKで漆掻きのドキュメンタリーを見ました。漆の採取について知識としては理解していたものの、実際の漆掻きの現場やそれに携わる方々を拝見して、漆というものがいかに有難いものかと実感しています。その番組の題にある「命の一滴」という表現が誠にすんなり心に響きました。
生きているものに傷をつけて、滴(したた)る樹液「漆」。血、とも、涙のようにも感じました。
ものを食べる時に’頂きます’といいます。命を頂きます、という意味と思っています。それと同様の気持ちを漆塗りを生業としている立場として、持たなければいけない。
漆掻きの職人さんは毎年、漆を採取する季節に入るごとに使う道具や作業着を新調するそうです。お神酒で清めてそして山に入る。
抗うすべもない命から滴(しずく)を’頂く’、その畏敬と感謝の念からでしょう。
そして、一日中ひとすくいひとすくい、粛々と、傷口から染み出て滴る漆を集める。
番組はその四季を追っていました。そこには日本の、日本人の、精神性が滲み出ていました。
「自然と共にある人間」の姿。そして天然材料「漆」。
授かりもの、というと人間本位でしょう。やはり、「頂いたもの」だ、ということ。
そんなことを心に持ち、これからも漆に向き合いたいと思います。この一滴もあの一滴なんやな、と。
余談ですが、その中で登場していた漆掻きの修業中の若手さんは、昨年の輪島訪問でたまたま知り合い酒を交えた猪狩さん。その道に進むとは伺っていましたがびっくりしました。がんばっていらっしゃいました。手紙でも書きたいとおもっています。
きょう午後はしばし箆を置き、今月あたまから不定期で開かれている漆の講座の最終日ということでまた大阪まで足を運んでいました。
先々週の第一回は人間国宝(重要無形文化財)の方の生のお話。その人となりと共に深く感じ入りました。
二回目は仏像など国宝の修理に実際に携わられている職人さんが講師のおひとりで、なるほどと学ばせていただきました。
今日は京都の産業技術研究所の方で「漆の可能性を考える」というお題。ヒントになることや気付きがありました。
とても有意義でした。活かせるよう努めます。

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| 2010年2月19日(金) |
| 進捗 |
ただいま職場では10件のご依頼が同時進行しております。いつも皆様にご愛顧賜り誠に有り難うございます。
そのうちのいくつかをご報告申し上げます。
上は新年早々にお預かりし漆塗り完全修復作業中のお仏檀、
順次下地修復が上がり漆の下塗りに入っております。

下地完了時です。もちろんすべて天然漆による堅地によるものです。

ただいまの状況、漆の下塗りを終えつつあります。ここまでは中国産の漆を使用しております。

屋根・彫刻・須弥壇・柱等は下地修正後漆の下塗り、上塗りを終えており現在は金箔押しに入っております。画像は箔押し前です。

模型の屋根も漆の下塗りまで来ています。模型とは言え本式の漆塗りでさせて頂いております。
淡路の檀尻も順調に進めております。
こちらは屋根周りの彫刻、漆の上塗りが終わり、

ムロで締まり具合を吟味中です。その加減で金箔のノリが変わってきます。
黄色の漆を使っています。色味は今は茶色に見えますが時間経過と共に徐々に黄色に近づいていきます。漆独特の初期変化(硬化)に伴いしょっぱなは濃く色付きます。
別注のお厨子(ずし)の製作、下地研ぎの段階です。

漆の下地の特長である角や隅のすっきりしたシャープな仕上げで進んでいます。

依頼していたこれまた別注の錺(かざり)金具が仕上がったということで先日、谷口秀作師がお持ちくださいました。
このたびは前回の厨子の金具をベースに透かし部分を増やしていただきました。

仮に並べてみました。思った感じになりました。

屋根部分の微妙なカーブにも現物合わせで型取りし合わせています。

八双金具アップ。とても細かく丁寧な仕上がりをして頂きました。
日記の更新も手を動かす合間を見てがんばっていきます。
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| 2010年2月12日(金) |
| たまには本を読もう |
久しぶりに本を買ったという話。
先日とある漆の講座に参加するために大阪の大学に電車で参りました。移動の車内の時間も有効に使おうと売店で本を買うことにしました。前買ったのは何年前だろう。
さてどれにしようか。
と、そこは意外に悩まずに済みました。
37年生きてきて、そんな言葉、というかそんな発想などしたことがないという、自分には強烈な題名の覗くその一冊に手は伸びていました。ジャンルとしては社会論でしょうか。
まだ半分も読めていませんがその中で印象に残った一節を紹介します。
>「 ―仕事につく前に、じぶんがそれをすることの意味をこれほど強くは問わなかったようにおもう。
理由は簡単である。『個性』は何かをするより先にあるのではなく、何かをひたすらくりかえすうちに、そして他人のあいだでもまれるうちに、やがておのずと見えてくるもの、まわりが認めてくれるもの、という思いがあったからだ。名前を他人からもらったように、『個性』も他人から贈られる、そんな感覚がかつてはあったようにおもう。いまは、何かをするなかで、ではなく、何かをする前に、その何かをする『わたし』の存在そのものにどんな『個性』があるかを自問する。」 (鷲田清一)
そして氏は同じく「わたし」というものを論じるその項の中で、精神科医の中井久夫氏のこんな言葉にも言及している。
>「成熟とは、『自分がおおぜいのなかの一人(one of them)であり、同時にかけがえのない唯一の自己(unique I)である』という矛盾の上に安心して乗っかっておれることである。」
’自分の使命に一生懸命になること’に一生懸命になっている自分は、ともすると視野が狭くなるという可能性もやはり内包しているので、本という有意義なものにもたまには時間を取ることも必要だなと読み進めながらあらためて感じています。
いろんな人の日々の体験や研鑽(人生そのもの)を経てこそ得られた知恵や思索に、好きなときに好きなだけ手順もなしに触れられる、
精神的・物理的’発見’はもちろん、確認もでき、物事の捉え方の多様性やそのしくみ(構造)も学べる、
こんな素晴らしいものがわんさと溢れているというのに。
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