平成二〇年・村廻り記4(10/11・12・13)

例年秋祭りが近づいてきますと盆明けぐらいから各村の方より、屋台の漆磨きの依頼を頂戴します。
ことし平成20年度は延べ85の屋台蔵にお伺いしました。
当初その模様を日記ページでお伝えしようとしましたがかなりのボリュームになりそうなので、派生して記事としました。
二日ごとに分けてご紹介します。こんかいは変則なので三日です。

日記ページ「裏砂川仏檀店」はこちらです。


10月11日(土)、晴れ
今年度の祭りはほんとうに天気に恵まれた日が多くありました。この日も暑いくらいの晴天だったようにおもいます。


朝一は二手に分かれて参りました。
若手岸本は彼の’ふるさと’の北八代の屋台を磨きに行っています。いわゆる本番の磨きでは唯一の全くの一人での磨き。
自分の村ということで緊張なく、かつおろそかにならず、時間にも余裕があるだろうとの判断で昨年より一人で行かせています。


時間、これはけっこう重要なことであらかじめ予定を組んで廻らせてもらっている関係で一つの蔵で手間取るとあとお待ちくださっている村すべてに影響します。
携帯の時代、当然催促のお電話も頂戴します。







かつてわたしがまだ不慣れな頃ある村で、
例の手汗過多で白曇りして手間取っていると、
「まだかかるんか」的なお叱りをいただいたこともあります。
その方はつづけて、
「去年おとうさん来てくれたったとき1時間ほどやったけどことしは丁寧にしてくれよってんやなあ」と。
すみません、二時間かかりましたがそうではなかったんです、単に未熟だっただけで。
温かいお言葉が嬉しかったのを思い出しました。


さてこの画像です。
わたしは6:30に第二のふるさと福崎高岡の桜へ。
みなさんに声をかけてもらいながら磨き終え、蔵出しです、8:40。
当然ながら知っているお顔ばかり。



こちらに住んだのは妻をもらってからの丸6年。
二人の子どもも授かり思い出深い、というより現在進行形でまだお付き合いをさせてもらっています。居心地のいい村です。
たしか70軒ほどだったとおもいますが10年ほどまえに屋台を購入されました。旧熊見の棟と聞いています。

屋台蔵の横に階段があって村の神社へ延びています。
そのもうひとつ横にある、2年ほど前に整備しなおされた坂を「エーンヤーー、ナーニクソィ!」と聞こえる掛け声とともに台車に乗って上がっていきます。
昨年はわたし、ほぼ生まれてはじめてこの境内での練り上げで屋台を担かせてもらいました。脇棒でした。
重さより肩の痛さが強烈だったです。
飾磨にしろ荒川にしろ、何十分もの長きに渡ってあの重さと痛みに耐えながらよく練られるなと、練りを知らなかった想像の時代の何倍も練り子の皆さんを尊敬するようになりました。

そのときの練りは10分もなかったとおもいますが、でもなんともいえない大勢と一体になる高揚感の、ほんの小指の先ほどには触れられたような気がしました。




三軒目、生矢神社亀山屋台蔵です。
当店のリンクに貼らせてもらっているその名も「屋台蔵」主宰の某祭り大好き男の村です。
その方といろいろお話ししながら磨かせていただきました。
昨年よりのお伺いです。


亀山というとすごい練り(彼いわく「ゴイゴイ!」というらしい)で知られているそうで、殊更ことしの祭りは例年より群を抜いていたそうです。

たしかに祭りを楽しんでおられる様子がそこここに感じられました。
屋台蔵に横から入るのに通った公民館も、前夜からひょっとすると明け方までかとおもわれるかなりの日本酒の良い香りが立ち込めていました。
団長(?、若い人をまとめていらっしゃる立場の方)もいい笑顔をされていました。

画像は蔵出し、11:32。
奥にこのたび新調された子供屋台も見えます。
晴天。




夜には、10月6日の朝に祭り前の磨きに伺った甲八幡の酒井屋台蔵に、宵宮後の手入れということで再び上がりました。
この日は各地で祭りの宵宮があった日。
到着したときも若い皆さん何人もがいらっしゃいましたが、その初日を終えた臨場感がびしびし伝わってきます。それは不思議なことに普段どおりの位置に仕舞われている屋台からも。
あすもがんばってくださいと浮かべながら、静かになった屋台蔵でひとり手を動かしました。



10月12日(日)、晴れ

この日はまず遠出でした。
宍粟市一宮は伊和神社・須行名屋台蔵です。 現地9時半着。

伊和神社の祭りをご存知でしょうか。
まず国道29号線沿いに突如そびえる鎮守の森の高さ、大きさにまずふつうではない内包された歴史の重みと灼(あらた)かな霊験をおもい、普段は静謐であろうその森を社に向かって進む屋台の姿にさえ、なにかありがたさのようなものを感じます。

姫路の祭りとはまた違っています。乗り子の方が幕から外に顔をだし檄を飛ばしたり、

(平成19年の本宮の須行名屋台)

練りでは本体を中心にぐるぐるまわったり、自ずと伊達綱は踊り続け、つまり「躍動」のひとこと。
そして宮入を勇壮に終えた屋台は所定の位置に据えられ、村の方はもとより観客からも淀みないおおきな歓声があがります。
その瞬間、その場の全員がひとつになっています。

すきな祭りの一つです。



磨き作業終了、11:11。
宮本住建による棟・本体に露盤は金具で、狭間彫刻は年代物で松本義廣師によるものだったとおもいます。傷みがきていた部分を数年前に小修理されました。




道の駅併設の広く明るい屋台蔵です。
日常的に見られるようになっているようです。



以前磨きに伺った際、
こちらの床に川石を詰めた袋をいくつも見かけました。
聞けば棒にぶら下げて前後で担ぎ、練りの練習に使うんだとか。本番のほうが軽いように重めの石で練習されるんだそうです。

すばらしい練りには普段から努力もされているんだと知り感動しました。








つぎの磨きは15時過ぎ、ということで何年かぶりに甲八幡・本宮に行きました。

重国露盤彫刻の漆塗り箔のお話しを少し聞いていましたので、実際下からの見え方を再確認したかったということもありました。
深い屋根、その上の四神にしばらく見入っていました。



同じく当店で漆塗り箔をさせていただいた細野屋台です。

また多くの方と再会しいろんなお話しをしました。
そうこうしているとつぎの予定時刻が近づいてきています、予定では15時すぎに宇佐崎屋台蔵です。





白浜(灘)と大塩は昨年までは祭り前日にすべて集約して磨きに上がっていましたが、宇佐崎のいつもお話させていただいている方から、
13日(前日)はいっぱいすることがあるから(磨きの日程)なんとかならんか、とのお話しがあったので、この日(宵宮の前々日)の訪問となりました。

宇佐崎屋台、とても鏡(磨く面積の)の大きい屋台の一つです。三人がかりで1時間半は優にかかります。
このたびは例のNHKの取材の前に一度磨いていたこともありほぼスムーズに終えることができました。
こちら、写真を忘れていました。

左は過去の画像、宇佐崎屋台屋根、裏正面です。





つづいては的形・福泊屋台蔵です、17時。


村の社の横にある、天井も高くこちらも広々とした蔵です。

福泊といえばわれわれのなかではまた思い出深い屋台、
漆塗り最初の祭り宵宮では紋・総才端以外は金具なしで祭りをされました。

もちろんいろんな意見があられたでしょうし、こちらからもそれを望むということではなかったのですが、
漆塗りの姿はいましか見られへん、と言ってくださった村の方のお心にわたしども一同胸が熱くなったことがよみがえります。

磨き終り、しばしお話しさせていただいたあとの一枚、18:38。




この日最終はおなじく的形の児嶋屋台蔵、
19時。

児嶋屋台もとても面積の広い屋根です。
ハシゴやら脚立をお借りしてご迷惑をおかけしました、大変助かりました。

ことしはどうだったか記憶がまざってしまいましたがいつも屋根の上で磨いているとき、太鼓の稽古が響いています。


方方で、よく太鼓打ってええですか、と気にしてくださることがありますが磨きには全く問題なく、むしろなにか元気が出てきてやりやすいぐらいです。
裏方がテンション上がっても仕方がないんですけれどほんのちょっと参加させてもらっている感じでじつは喜んでいたりします。





10月13日(月・祝日)、晴れ

こう晴れがつづくといらない心配をしてしまいます。結果的にそれはあたってしまったわけですが。

さてこの10月13日は屋台屋根漆磨きの日程の中で一番慌しいといえる一日です。
ことしから前述のとおり宇佐崎屋台が別の日になりましたが、昨年までは実に12箇所の御蔵を廻らせていただいていました。
あさ6時過ぎから20時をまわるまで、三人で、です。昼食のほかは息付く間もない一日です。
そのこともあって、漆磨きに頭が集中しているともいえますが写真を撮らせて頂くのをまた数軒忘れています。ご了承ください。



13日、毎年の最初の蔵は的形・北山河(きたやまごう)です。湊神社はこの日が宵宮当日です。
6時半ぐらいだったとおもいます。けっこうな冷え込みで、かなり重ね着でスタートしたのに15分も手を動かしているともう汗がにじみ、いつものTシャツ一枚に。
父を含めて三人なので小一時間で終了。寝ぼけていたわけではありませんが写真がありません。
二軒目に向かいます、時刻は8時前。




ここから大塩がつづきます、まず西之丁(西之町)です。

おおきなお屋敷の壁がつづく南向きの道のつきあたりに蔵があります。見るからにかなり歴史の古そうな蔵で、下は土だったとおもいます。

こちらには蔵の戸を開けるために正面向かって左にまずくぐる小さな戸があって、その戸の鍵を開けられるところを見るのがわたしは好きです。
いまの時代ではめったに見られないような特殊な形をした棒というか道具といっていいような、鍵のイメージからは少し大きめなそれを穴につっこまれて、手首の角度を変えたりなにかガサガサされます。なにかコツが要るようで毎回、あ、あいた、みたいな、どこかゆったりとしたご様子を傍から見るのがたのしいんです。

ここでも完了時の写真がありません。そこで祭りが終わってから村のある方から昨年度平成19年の磨き作業風景の画像を頂戴しましたのでそれをご紹介します。

こちらがそうです。
肩が張らず浅めの屋根はこと漆の手入れの観点で言えば磨きやすいです。軒が良く出ていますと上にあがったとき体が安定します。
左画像奥には布を掛けられた屋根がみえます。過去見せていただいたことがありますかなり昔の「とち葺き屋根(壇尻の屋根のように段々状になった屋根)」だとおもわれます。 と書きましたが村の方より解説のメールを頂きました。
とち葺き屋根ではなく「先代(明治34年製作)の屋根」だということです。とち葺き屋根はまた別の場所に保管されているそうで、やはり現存していることに驚きます。 お教えくださってありがとうございました。

あまり登場しない父弘征(ひろゆき)も撮っていただいていました、お礼申し上げます。




つづいて中ノ丁(中之町)屋台蔵です。

平成16年に漆塗りをさせていただきました。まだ4年目ということで漆表面はまだまだしっとりしていて、汚れもすぐ浮き、磨き上げられます。
こちらの斗組みは、ご要望で皿斗がプラチナ箔になっていたりと箔の押し分けを致しました。
磨いていると近くで拝見できる水切りの龍の金具も見事です。
9月19日に一度磨きに伺ったのではやくおわりました。磨き作業終了、9:46。







組んでいた予定よりすこしはやめに進んできました。
四軒目は西濱屋台蔵です。

西濱屋台は勾欄台の塗りが通常の黒蝋色ではなく溜め塗りといって、うるみ漆の塗りのあと透き漆を重ね塗りして蝋色仕上げ(研ぎ下ろし磨き上げ)とし、明るい茶系統の色になっています。
右は平成18年の漆塗り作業時の画像です。


そうです、こちらでも撮らせて頂くのが抜けていました。
磨きが終わり蔵を出たのが11時前ぐらいだったとおもいます。






大塩地区最後は北脇屋台蔵です。

とても大きく見えるのが印象的な屋台です。昨年度漆塗りをさせていただいています。

二年目という、漆面がさらのように新しいときは油の付けすぎに注意が必要です。
すこしの、その日のそれまでの磨き作業で自ずと手に染みている(残っている)ぐらいの油分で、充分汚れを除くことができます。
いうまでもなく逆に年数を経た漆や、小キズ等の傷みが多い場合は油の量をすこし増やします。実際に浸透しているとはおもいませんが、感覚的に潤いを吸い込ませる感じです。

作業終了、11:56。




午後は白浜(灘)地区です。例年この流れになっています。


この日六軒目にあたります、八家屋台蔵です。


もう伊達綱も付けられていました。
この蔵の奥二階下にデッキのようなスライド式の床があってこのおかげで裏正面(後ろ面)はたいへん作業がしやすくたすかります。

画像にも映っていますが、両側面をさわるときには棚にも足を掛けさせてもらいながら手を伸ばします。たしか山陽電車の荷物置きの棚だったと聞いた気がするのですが、記憶違いならごめんなさい。

正面は本棒に渡した板の上に脚立を失礼して磨きます。
作業終了、14:21。




さていきなりですが、
屋台蔵のそばには酒屋さんが多いとおもわれませんでしょうか。

こちら八家も隣が酒屋さん、松原も向かいがそう、妻鹿も西隣が酒屋さんです。大塩でも西濱屋台蔵の前でしたかにあったとおもいます。
東山は酒屋さんではありませんがすぐ北に食料品店さんがあります。

偶然にしてはすこし多いようにおもいますが、
祭りと酒、切っても切れないのは確かですね。






つづいて木場に参りました。

蔵を開けていただくのを待つ少しの時間の一コマ、
このあたりから特に腕と指先がすこし辛くなってきて、合間や移動の車内でははこんな感じです。

















平成8年に漆塗り完成後10年、
平成18年に損傷の補修に伴い漆の塗り替えをさせていただきました。


たとえ金具・紋が外されていても木場のそれとわかる独特の屋根の形。
ご存知の方も多いとおもいますが勾欄台も特徴的です。束(つか:欄干の垂直に並ぶ部材)が、よく見られる寸法の比率よりかなり細めです。


お伺いする段階ではいつも総才端の金具がまだ付けられていず、身のやり場が多くなるのでとても磨きやすく無理な姿勢を強いられません。

蔵は奥の二階部がかなりの広さでそちらに置かれている状態で磨かせてもらったこともあります。



その二階からの作業完了時の一枚、15:19。
紋が屋根に比べて小さめで、見える鏡部分がとても広いのがわかります。








15時半、東山屋台蔵。

外に出されてブルーシートのもと、
伊達綱かなにかの取り付けをなさっていました。

それが終わられてから
その屋台蔵の外のまま、お集まりのみなさんの視線を時折感じながらの作業スタートです。
屋根の上は父と岸本。



漆磨きは表面が冷えている、熱くない状態でないとできません。
この時は屋外とはいえ日陰なので塗り面はあたたかい程度なのでなんとかいけました。ですが冷たいほうがなぜかよく光るようにおもいます。

直射日光に晒された屋台屋根はおそらく目玉焼きができるほどの熱さで、まったくの素手で磨く以上まず触ることすらできません。







東山屋台は意識せずとも千成瓢箪の紋に目がいきます。けれどこの巴紋の付く屋台横からの方が屋根の形が見えやすいようにおもいます。水切り金具が上に出ていない様式で屋根のシルエット、ラインがよく見えるのもあいまって、個人的にはすっきりした印象を受ける屋根です。わたしの知人にも東山の屋根がええわぁ、好きや、という人が多くいます。

作業終了、16:21。 三人なのでほぼ一時間ずつで磨き上げられてきました。







この日九軒目は松原屋台です。

とても明るい屋台蔵で滞りなく磨き作業終了。
17:12。




松原の御蔵を出ると、外はもう日が傾いていました。

東の空にははっきりと月が浮かんでいます。けれどこの時点でつぎの日14日は雨の予報。
雨、ここでくるんか、とわずかに気持ちが落ち、それでも予報は予報やからとまだ降らない期待をしたりしています。

宵宮に雨が降るとその夜、わたしどもは雨の後始末に走り回り、お伺いできるところすべておわってから職場に戻り、その日傷んだ彫刻の応急修理。

夜が深くなる覚悟をするわけです。









長い一日も最終です。

村のかたのご希望の時間まで余裕がありましたので一旦職場にもどり、19時半に伺いました。 中村屋台蔵です。

祭り当日の宮入のとき、灘中学校生による恒例の屋台紹介のアナウンスがありますがその文言どおり、どこか気品を感じ華麗な佇まいにおもいます。準備がすべて整った屋台やまわりの皆さんのご様子にこちらまで、さあ、あす本番というなんともいえないふわふわした感覚がおこってきます。
あくまで裏方なのに、、完全に便乗ですね。

作業完了、20:30。




この日廻らせていただいた村の皆さまありがとうございました。


当店は祭りの宵宮・本宮の二日間村からのご依頼で、例年灘祭りの東山と妻鹿に手分けして付かせて頂いています。
どちらも朝がはやいので、早く体を休め備えます。





番外、
このたびは屋台新調で屋根磨きはなかった妻鹿です。
宵宮の朝、屋台蔵横の観音さん前。

予報どおりの雨模様で、
合羽支度です。


この日がハレの本番初日の妻鹿新調屋台にとってはまさに生憎(あいにく)の天気でした。

たしか予定を二時間遅らせての練り上げだったとおもいます。
ぎりぎりまで担き棒にもシートが掛けられていました。

10月14日火曜日、10:07。




ここまで10月5日の磨き初日から約60軒の屋台蔵にお伺いいたしました。
このあとは英賀神社・広畑・富嶋神社、最終は20日の屋台漆磨き、魚吹八幡(津ノ宮)と続きます。



<もどる>
<TOPへもどる>